明日死ぬなら?

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明日死ぬなら?

好きな人には好きと言えばいい」と、以前こにくは書きました。

そこで諸々のいろんな理屈を述べましたが、
この「好きな人には好きと言う」というポリシーに至るまでの経緯には、またちょびっとこにくなりの紆余曲折は、あるのです。

たくさんの人にたくさんのインパクトを与えた、2011年の東日本大震災後。
実は、この時がはじまりでした。

1980年生まれのこにくは、1995年に阪神大震災も、経験しています。
このコラムを読んでくださっている方はきっと全員といっていいほどの方が、経験者ですよね。

※ここでいう「経験者」は、「その事象が起きた時にリアルタイムでものごころついていた」という意味であり、「被災者」という意味ではないということを示しておきます。

人生半分もいかないうちに、こんな大きな災害がすぐそこで起きるなんて。
この2つの地震は、100年後も歴史の教科書に載るでしょう。

そのときに、こにくは、明日いきなり自分が死んでもなにも不思議ではないと思いました。

普通に、いきなり明日死ぬかも、と。

そう思ったときに「じゃあ、明日死ぬなら何したい?」と自分に問うたとき、
こにくの答えは

「好きな人に好きって言いたい。そして、やりたいと思った人とセックスしたい」

でした。

お父さんお母さんへの感謝とか、友達への「ごめんなさい」とか、仕事でやりのこしたこととか、行ってみたい場所とか、達成できてない夢とか、お金とか、そんなんじゃなく、
こにくは、「好き」と「セックス」でした。

一応補足しますけど、父母へは「この人らいつ死ぬか分かれへんしな。いつボケるかも分かれへんしな。老人やしな」と思っているので、
日常的に「ありがとう」「体の調子は大丈夫?」と、言うております。
まあ、離れて暮らしてるのでね。電話で、月イチくらい、言うております。

そして、大事な友達にも、ありがとうとごめんなさいは、きちんと言うております。

心身共に健康で暮らしていれば、「明日も生きてる」という前提ですべては進んでいくし、
こにくも基本的にそうです。
でも、2011年の地震があってから、そして自分のなかでいろいろな変化もあって、
「明日死ぬかもしれへん。好きな人には好きって言うとかな」と、思っています。

マジで、いつ死ぬかわかれへんって。

好きにならせてくれてありがとう、あなたはとってもステキだったよ、アタシにたくさんすてきなものくれたよって。

それは、もちろん友達も同様。

「大好きやよ、ほんまにありがとうね、あなたがいるからアタシはがんばれるよ」って、なるべくきちんと言うようにしています。

そして、明日死ぬかもしれへんし、やりたいと思う人とはやっとかな、と思うので
「ええ男やな」と思った人には、なるべく「セックスしませんか?」と正直に言うようにしています。

「この人とはヤリたい!」と思わせてくれるいい男も、貴重やしね。

だって、明日死ぬかもしれへんねんで。

いまのところ、こにくは、後悔はないです。
ほんまに明日死ぬなら、痛い思いはしたくないけど「痛くない」っていう前提で、明日死んでも、文句言いまへん。

「シュッ」と楽に死なせてくれるなら、こにくは明日自分の人生が終わっても、後悔はないのです。

では、また!

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